高齢の日本人はそもそもどうやって福音を理解するのだろうか?
日本人の同僚にストーリーテリングについて教えたところ、彼は毎月の地域のアウトリーチグループで試しにやってみることにした。
近くに住む高齢者が時折参加しており、彼らは2011年に起きた津波と地震の生存者であった。
通常はカフェスタイルのイベントであるーお茶とケーキに加え讃美歌を歌ったり、短い聖書のお話がある。
今回我々は聖書の物語を話すイベントとして通知し誰でも出席してもらえるよう真剣に祈った。
そしてある人が来てくれたのだ!高齢のノンクリスチャンの女性だが多くのクリスチャンの集まりに参加していた方だった。
我々はイエスの衣の裾に触って癒された長血を患っていた女性の話をした。
定期的なイベントは通常短いお話を中心に行われディスカッションの時間もないので、本格的な意思疎通をするのは今回が本当に初めてのことだった。
私が思うに彼らは以前にも質問しようと試みたことがあったが、結果はまちまちであった。
参加者は高齢で(75歳以上)かなりシャイなのでディスカッションをしても通常は行き詰ってしまうのだ。
しかし今回彼らは本当に驚いた、その女性がその物語についてどれほど考えていたかを見たからだ。
のちに彼女は’イエスが長血を患っていた女性のそばを通り過ぎたのは偶然だったのかしら’と疑問に思った。驚くほどよく考えられた質問だ。
また、多くの参加者がおそらくアルツハイマー病の初期段階にいるので我々は彼らがそもそも何か聞くことができるのかと思った程だった。
私は過去にたくさんの物語を話したことがあるが高齢の方相手にはしたことがなかったのでうまくいくのかわからなかったし、ディスカッションさえも少し起こっていて、そんなにうまくいくとは思っていなかった。
しかし同僚の視点からすればその女性がどれほどその物語について考えたかを見て本当に驚いたようだ。
最初彼女は物語の詳細の多くを完全に間違えて捉えていたー彼女はイエスが手を伸ばして彼女に触ったと考えていた。つまり物語がどのように終わったのか全く覚えていなかったのだ。
しかしのちに彼女は’イエスが長血を患っていた女性のそばを通り過ぎたのは偶然だったのかしら’と疑問に思った。驚くほどよく考えらた質問だ。
今や私の同僚と彼の妻はもっとこの試みをしようとかなり熱心になっている。
彼らは創世記から始まるシリーズを始めたいと思っているが、シリーズを始める前に新約聖書の話をもう一つすることを考えているー主に他の誰かが翌月出席するかどうか見るために。