聖書の物語を学ぶ前に、 身につけること!
最近、台湾で奉仕されている友人の宣教師が来られて言われました。
その週に行われる「伝道と弟子訓練」というコースを教える前に、彼女は少しでも、本当の日本をよく知りたいと、私達を訪ねてくださいました。
翌日、礼拝の最後に、日本の教会ではどこでも初めて教会に来られた方を紹介するように、クリスティンさんも教会の皆さんに紹介されました。さっそく、長い間教会に通っている一番外向的な方が一人の台湾の女性を連れてきて、クリスティンさんに紹介下さいました。
とりあえず、クリスティンさんはそこで、台湾の方と彼女のマレーシア出身のお友達に声をかけました。長い間台湾で奉仕されている宣教師を待ちながら、クリスティンさんは、教会の入り口で、お二人の女性と私に、聖書の物語を話して下さいました。 内容は聖書の創世記16章に書かれているアブラハムとサライとハガルについてでした。この物語は女性達にとって、私のように良く知った物語ではありませんでしたが、彼女たちは心が躍りました。
家に戻って、いつもの通りに、ソーシャル・メディアを通して、再びお会いした方々と連絡を取るようにしました。実は今月、私はどこかで、台湾の女性達と待ち合わせをすることにしているので、それを確認するために、彼女にメールをしました。また、もし彼女の友人も来られるなら、「一緒に集まりませんか」と誘ってみました。
その待ち合わせが決まったので「その日に、聖書の物語を一緒に学びませんか」と提案してみました。私は今までこの様なやり方をしたことはなかったのですが、彼女たちはそれを聞いて、前向きになってくれたので、その反応をうれしく思いました。
クリスティンさんと一緒にお昼の皿を洗いながら、彼女はどうゆうふうに 聖書の物語を教えたら良いのか教えてくれました。 特に、彼女に励まされたのは「そのための準備はほとんどない」ということでした。クリスティンさんは私に六枚の質問用紙をくれました。聖書の学びというのは、ただ物語を暗記して相手に話すだけではなく、質問を通して、相手の答えを聞きながら、一緒に学ぶことなのです。
準備なしでも構わないというのは私にとって、非常に助かりました。なぜかというと、その週、私は実に忙しかったのです。予定通り、私は台湾人と彼女の友人に会いました。最初のころは、互いに知り合えるように、話しかけてみましたが、次に、私達は聖書の創世記3章1節から15節までを一緒に英語で学びました(英語は私達三人の共通語ですから)。彼女たちの熱心さには ビックリです。彼女たちは以前にも聖書研究をしたことはありましたが、この様な方法ではありませんでした。彼女たちは本当にこのやり方を喜んでくれました。
学びの中で私がびっくりしたのは彼女達の答でした。六つの質問の中にある六番目はこのようになります「今週は、あなたはどなたにこの物語を話したいですか」と。彼女達は物語を伝える相手が何人いるか考えました。次に、相手に伝える手段として、何語を使うかを考えます。この場合、彼らは英語ではなく日本語や中国語を話すでしょう。
聖書の物語を彼女達に伝えるうちに、彼女達は物語を学び、聖書についての理解を深められるでしょう。物語を学んだ彼女達は、それを用いながら、 私にできないことや話せない言葉で、自分の言語で、自分の知り合いや同僚達に、聖書の物語や福音を伝えることができるでしょう。私の小さい役割は、ただ彼女達に聖書の物語を伝え続けることです。私は、言葉や伝道が下手だと思いますが、彼女達は私よりも、自分の友人に役に立ってくれると思います。
聖書の物語を伝えたり、教えたりするのは私の普段の仕事とは違いますが、本当に思いがけない特別な役割ですよね。それは私の方に転がり込んできたのですが、なるべく私はそれを果たしたいと思います。実は、来週の水曜日、私は彼女達に会う予定です。目標は聖書の基本的な概念を表す8話の中から一つ を学ぶことです。聖書の総まとめを使って学ぶのは、最近流行っているようです。
全体を考えると、この経験を通して私は教えられました。それは日本での奉仕の仕方は、私達の考え方や願い通りに進めるのではなく、神様は私たちが喜んで神様にお仕えしたいという思いを活かそうとご計画を持っています。そして、時々、私達はそのご計画をちらっと拝見することができるのです。