人々の質問に答えないことによるメリット
ただ質問してもらうか、”聖書が答えてくれますよ、読み続けて” または ”後のお話に答えがありますよ”と言うことによって
私たちが答えない時、重要な質問が人々の心にいつまでも残って、じっくりと考えるようになることを知りました。
だから”このお話について他の人はどんな質問を抱きますか?”という質問には答えるとき、20までの質問を出します。
(ディスカッションの質問について更に詳しくはディスカッションを導くを参照)
質問のいくつかは答えられないかもしれませんが、それは悪いことではありません。
例えば、目の見えないバルトロマイが癒された時(マルコの福音書10:46-52)
なぜバルトロマイはイエスを’ダビデの子’と呼んだのか?そして”どのようにして前もってイエスについて聞いて、そしてなぜこうした特有の名前を使ったのか?”
何らかの答えがあるかもしれませんが聖書に厳密には書かれていないのでそれらはただの考えられる答えです。
しかしながら、これらの質問について考えると いかに神が人々の人生で働かれているかという驚嘆の念が強まり、神は私たちが知っている以上に遥かに多くの業をなさると気づかされます。
神が友人の人生にもそのように働いてくださるように祈り続けることを思い起こさせてくれます。
20の質問が出ると、1つか2つの質問は人々の心にいつまでも残ることを発見するでしょう。
しばしば私たちはそれらの質問について数週間か数か月考え、その過程の結果として私たちは成長します。
オーストラリアのブルー・マウンテンズで週末に行われた語りのキャンプの間、私たちは天地創造のお話を学びました。
私はこう質問しました”天地創造のお話には’夕べがあり、朝があった’と書かれていて、より自然な言い方である’朝があり、夕べがあった’ではないことは重要だと思いますか?”
翌日60代の男性が心躍らせて私に向かって来て”あることを考えついたと思うのです。”と言いました。
私たちはいつも私たちの視点で物事を見ると思うのですが、人生全般について重要なことは神の視点で見ることを学ぶことにあると思うのです。
神の視点からは暗闇があって、神が光を創造し、それは実際に光です。
暗闇の後に命と希望が生まれ、だからそのように言われるべきだったのです。”
リラックスして人々の質問に答えることができる必要がないという事実を喜んでください!
注記:
1)西洋の’ポストモダン’の社会では答えられていない質問から来る驚きと神秘の感性が好まれることがわかります。
実際に人々はすべての答えを持っていると見える人にムッとするようです。
2)質問が’会堂’、’安息日’、’師’のような言葉の意味に関連しているなら、お話に‘ユダヤ人の礼拝する場所’、’休む日’、’先生’といった同義語を充てるか、